超久々の更新
お久しぶりです、僕のこと覚えてますか?(笑)
そして何も書いてないのに見てくれた方々、ありがとう
まー、ほんと久々、2年ぶり、さぼりすぎでしたね
その間も映画は見てましたが、感想は書きたくなったら書けばいいかなって…
世の中もこんなんで気が滅入るし、どんどんほったらかしになっちゃっいましてね
バリバリ書いてる人も多いので言い訳ですがですが
それなら、やめようかとも思ったけど、残しても損はないかなと、げんに書きたくなったわけだしね
そして何も書いてないのに見てくれた方々、ありがとう
まー、ほんと久々、2年ぶり、さぼりすぎでしたね
その間も映画は見てましたが、感想は書きたくなったら書けばいいかなって…
世の中もこんなんで気が滅入るし、どんどんほったらかしになっちゃっいましてね
バリバリ書いてる人も多いので言い訳ですがですが
それなら、やめようかとも思ったけど、残しても損はないかなと、げんに書きたくなったわけだしね
ただ映画館自体はずっと行ってませんねえ、19年の「アベンジャーズ/エンドゲーム」が最後で丸2年
「レミニセンス」「シャンチー」「エターナルズ」とか見たかったんですけどね、あと「デューン」も
ずっと延期されてた作品も公開されてね、いろいろあるけどやっぱり筆頭は「ノー・タイム・トゥ・ダイ」でしょうね
いや~好きな方には悪いんだけど
僕は正直そこまで熱烈なファンじゃなかったのが幸いでしたね、もし007ファンだったら気が気じゃなかったろうな
果たして、この映画を本当にみれる日は来るのか、実は存在してないんじゃないか、とか
でもソフトが出るまで我慢するぞ、なんていうのもストレスたまるんでさっさとネタバレ読みんじゃいましたよ
びっくりした反面、やっぱりな、とも思いましたね
ローガン、エンドゲーム、ときてすっかり流れができちゃってますね
絶対死なないと思ってたヒーローが死ぬっていう
そういえば三つとも娘のために、ってところも同じ
ドル箱のシリーズでもいつかは完結しなくちゃならない、役者も次のことに挑戦したい
ってなったら手っ取り早いのは主人公の犠牲で幕を閉じるってことかぁ
これからの映画で、それっぽくなりそうなのは、ずばりミッションインポッシブルとワイルドスピードでしょう
このノー・タイム・トゥ・ダイ、ダークナイトライジングみたいに実は生きてるってオチでもよかったのに
って意見も多いですが、ちょっと待ってください!
僕はあの作品でバットマンは死んだと思っています、というか僕のなかでは死んでいます!
なぜ、そう思うのかをいまさらですが、少し書きたいと思います。
ほんとはね、某掲示板や他の方のブログで意見しようかと思ったの、だけど
だいぶ前の作品の考察をいまさらふっかけて
喧嘩やトラブルになるのも嫌だからね、自分のとこなら自由に書ける
というわけで書くぞ!(笑)
過去に書いたレビュー
懐かしい…意外なことに生死には触れてなかったんだなぁ、当時の自分
あの作品のクライマックス、バットマンは自らを犠牲にして原爆を海の上で爆発させる
中の人、ブルース・ウェインの葬式を済ませてから、自動操縦だのネックレスがないだの
いろいろなことが発覚して、そうか、ブルースは生きていたのか
ヒーローの意志を次ぐものも現れたし、メデタシメデタシ
まあ普通に見てたら、そう受け取る人が多いでしょうね、死んだと思う人は少数派
だけど、それもちゃんとした見方の一つです
確かにいろいろ準備はしてたけど、それらがすべてうまく作用して爆発から逃れた、と確実に言えますか?
あのカフェの場面がアルフレッドの幻想ではないと言いきれるんでしょうか?
ネックレスだって持ち出したまま死んだかもしれないし
なんでも本作でノーランが書いた脚本はちゃんと商品として購入出来て
それによるとちゃんと生きてる、という解釈が出来る
というか生きてる以外ありえないんだってさ
でも、それ言い出すの反則じゃないですか?脚本は映画の元だけど映画そのものじゃないでしょ
多かれ少なかれ、見方は分かれた、それは表現が曖昧だから
生きてるってことにしたいんならちゃんと映像の中ではっきり示さなきゃ
その点、「シックス・センス」は今、思えば計算されていた
ブルース・ウィリス(あぁ、これもブルースか)が幽霊であることがあかされて
ええ、今まで喋ってたし触れてもいたじゃないか?
でも振り返るとオスメント君以外の人と話してる場面は
撃たれてからは一つもないし、自分でものを動かしてないんです
石を投げてガラスを割った場面で周囲の人が驚くのは
優しそうな中年の紳士があんな乱暴なことをするなんて、って反応だろうと思ったし
(実際は怪現象に驚いていた)
ブルース・ウィリスとト二・コレットが座ってる場面は息子の相談してるようにしか見えなかったもんね
セリフもないのに錯覚してしまったんです
一時から、シャマランは馬鹿にしていいっぽい風潮ありますけど、こういうとこやっぱりうまいですよ
そして、僕がカフェでの再会がアルフレッドの幻だと考える最大の理由
何でブルースは整形してないの?
だってブルース・ウェインはあの世界ではトップクラスの大富豪ですよ?
プレイボーイとしても通ってるから顔も知られてるしね
そんな人が死亡したとなれば諸外国でも少なからずニュースになるでしょ
なぜ素顔をさらして堂々と出歩けるのだろう
え、イタリアのフィレンツェだから、誰も他の国の有名人なんて気にしないし気づかないって?
まぁ僕もイーロン・マスク氏やビル・ゲイツ氏の人相パっと思い出そうとしてもなかなか難しいもんがあるが…
(ただ、スティーヴ・ジョブズ氏はすんなりイメージできるんですよね何故か)
でもネット時代だしググればあっという間じゃないですか
それとも一般庶民はブルースとわかっても知らないふりしてそっとしといてくれるんだろうか
あとはあの世界の住人はネットをしないのかもしれない、ノーラン、ネットとかSNS大嫌いらしいし
だとしても危険なヴィランがたくさんいるのに、そこらへんはずいぶん都合がよくて優しいんだなあ
ノーランバットマンの世界は
どっちにしろ葬式をやるくらいだから完全に自分の存在を消したいんだろう
ならば超絶ハンサムから普通のたれ目鼻でかおじさんに整形したコブラを見習って
がらっと人相を変える必要があるんじゃないかい?
イケメンのクリスチャン・ベールのままじゃなくてさぁ
そしてアルフレッドに声をかけるんです、「やぁ、僕だよ」って
これだったら認めざるを得ませんね、僕も
ぐうの音も出ません、でもそれやるとダサいですよね
こんな演出ノーランは絶対やりたくないでしょ(笑)
もちろん名乗り出ないだけで本当にブルースは整形してて身を潜めてるかもしれませんよ
だけど、それをはっきり明かせない以上、やっぱり死んでるんじゃないかともいえるわけでね
本当に、どちらともとれるエンディングだと思うんですよ、この作品は
だから人それぞれ解釈したいようにすればいいんです
生きてると信じたい人にそれは違うぞ、なんて
そんなこと僕は言いません、くどいですが僕のなかでは完全に死んでるけれど
この作品は来年で10年経つけど、ネットをざっと見ていると
死亡派の人の意見を生存派の人は全く受け入れず否定するか、もしくは馬鹿にしている
全部ではないけどそういう傾向を感じます
質問系のサイトで”結局ブルースは死んだんですか?”って問いに”ちゃんと見てたんですか?”とかね(笑)
そもそもノーランはインセプションのラストで現実か夢か、コマは止まるか止まらないかで
散々議論を引き起こした映画人だったでしょう?(今となってはほぼ現実であるっていうのが定評だけれど)
ひとつの決まった結末ではなくいろんな解釈の余地がある
そんなところも映画ファンにノーランが支持された理由じゃなかったか?
なのに、なぜ片方の意見をそこまで下に見ることができるのだろう?
バットマンが、ヒーローが死んだとは認めたくないということかね
でもノーラン流バットマンといえばとにかく”リアル!”が売りでしたからね
評論家の人たちもそんな論調だったし、他のアメコミ映画とは格が違う、とか言ってね(笑)
だったら”奇跡は起きない 現実は非常である”って結末も全然OKでしょ
逆に何で僕はそんなにバットマンを死んだことにしたいのかって?
いや、死んだことにしたいわけではないんですよ(笑)
あえて言うとすれば…
他のヒーローは実は生きてる可能性、”IF”もないくらい、はっきりと死んだのにズルイなぁ
っていうしょうもないガキみてーな理由と
あとは死んで思い出になったほうが美しい気がするから
どういうことかいうとアルフレッドはブルースに普通の人生を送ってほしいと願ってましたよね
その願いが幻想となって表現されたのがあのカフェのシーンなのではないかと
だから顔も在りし日のブルースのまま、アルフレッドの記憶の中のブルースそのままなんです
そう考えると切ないけど、美しい、ような気がする、うん
しかし、こう長々と久々に書いたり、思ってたことを外に出すとちょっと気分が晴れますね
これから、頻繁に書くか、またも長いブランクに入るかはわかりませんが
まあ気軽に続けてみるかって気になれます
「レミニセンス」「シャンチー」「エターナルズ」とか見たかったんですけどね、あと「デューン」も
ずっと延期されてた作品も公開されてね、いろいろあるけどやっぱり筆頭は「ノー・タイム・トゥ・ダイ」でしょうね
いや~好きな方には悪いんだけど
僕は正直そこまで熱烈なファンじゃなかったのが幸いでしたね、もし007ファンだったら気が気じゃなかったろうな
果たして、この映画を本当にみれる日は来るのか、実は存在してないんじゃないか、とか
でもソフトが出るまで我慢するぞ、なんていうのもストレスたまるんでさっさとネタバレ読みんじゃいましたよ
びっくりした反面、やっぱりな、とも思いましたね
ローガン、エンドゲーム、ときてすっかり流れができちゃってますね
絶対死なないと思ってたヒーローが死ぬっていう
そういえば三つとも娘のために、ってところも同じ
ドル箱のシリーズでもいつかは完結しなくちゃならない、役者も次のことに挑戦したい
ってなったら手っ取り早いのは主人公の犠牲で幕を閉じるってことかぁ
これからの映画で、それっぽくなりそうなのは、ずばりミッションインポッシブルとワイルドスピードでしょう
このノー・タイム・トゥ・ダイ、ダークナイトライジングみたいに実は生きてるってオチでもよかったのに
って意見も多いですが、ちょっと待ってください!
僕はあの作品でバットマンは死んだと思っています、というか僕のなかでは死んでいます!
なぜ、そう思うのかをいまさらですが、少し書きたいと思います。
ほんとはね、某掲示板や他の方のブログで意見しようかと思ったの、だけど
だいぶ前の作品の考察をいまさらふっかけて
喧嘩やトラブルになるのも嫌だからね、自分のとこなら自由に書ける
というわけで書くぞ!(笑)
過去に書いたレビュー
懐かしい…意外なことに生死には触れてなかったんだなぁ、当時の自分
あの作品のクライマックス、バットマンは自らを犠牲にして原爆を海の上で爆発させる
中の人、ブルース・ウェインの葬式を済ませてから、自動操縦だのネックレスがないだの
いろいろなことが発覚して、そうか、ブルースは生きていたのか
ヒーローの意志を次ぐものも現れたし、メデタシメデタシ
まあ普通に見てたら、そう受け取る人が多いでしょうね、死んだと思う人は少数派
だけど、それもちゃんとした見方の一つです
確かにいろいろ準備はしてたけど、それらがすべてうまく作用して爆発から逃れた、と確実に言えますか?
あのカフェの場面がアルフレッドの幻想ではないと言いきれるんでしょうか?
ネックレスだって持ち出したまま死んだかもしれないし
なんでも本作でノーランが書いた脚本はちゃんと商品として購入出来て
それによるとちゃんと生きてる、という解釈が出来る
というか生きてる以外ありえないんだってさ
でも、それ言い出すの反則じゃないですか?脚本は映画の元だけど映画そのものじゃないでしょ
多かれ少なかれ、見方は分かれた、それは表現が曖昧だから
生きてるってことにしたいんならちゃんと映像の中ではっきり示さなきゃ
その点、「シックス・センス」は今、思えば計算されていた
ブルース・ウィリス(あぁ、これもブルースか)が幽霊であることがあかされて
ええ、今まで喋ってたし触れてもいたじゃないか?
でも振り返るとオスメント君以外の人と話してる場面は
撃たれてからは一つもないし、自分でものを動かしてないんです
石を投げてガラスを割った場面で周囲の人が驚くのは
優しそうな中年の紳士があんな乱暴なことをするなんて、って反応だろうと思ったし
(実際は怪現象に驚いていた)
ブルース・ウィリスとト二・コレットが座ってる場面は息子の相談してるようにしか見えなかったもんね
セリフもないのに錯覚してしまったんです
一時から、シャマランは馬鹿にしていいっぽい風潮ありますけど、こういうとこやっぱりうまいですよ
そして、僕がカフェでの再会がアルフレッドの幻だと考える最大の理由
何でブルースは整形してないの?
だってブルース・ウェインはあの世界ではトップクラスの大富豪ですよ?
プレイボーイとしても通ってるから顔も知られてるしね
そんな人が死亡したとなれば諸外国でも少なからずニュースになるでしょ
なぜ素顔をさらして堂々と出歩けるのだろう
え、イタリアのフィレンツェだから、誰も他の国の有名人なんて気にしないし気づかないって?
まぁ僕もイーロン・マスク氏やビル・ゲイツ氏の人相パっと思い出そうとしてもなかなか難しいもんがあるが…
(ただ、スティーヴ・ジョブズ氏はすんなりイメージできるんですよね何故か)
でもネット時代だしググればあっという間じゃないですか
それとも一般庶民はブルースとわかっても知らないふりしてそっとしといてくれるんだろうか
あとはあの世界の住人はネットをしないのかもしれない、ノーラン、ネットとかSNS大嫌いらしいし
だとしても危険なヴィランがたくさんいるのに、そこらへんはずいぶん都合がよくて優しいんだなあ
ノーランバットマンの世界は
どっちにしろ葬式をやるくらいだから完全に自分の存在を消したいんだろう
ならば超絶ハンサムから普通のたれ目鼻でかおじさんに整形したコブラを見習って
がらっと人相を変える必要があるんじゃないかい?
イケメンのクリスチャン・ベールのままじゃなくてさぁ
そしてアルフレッドに声をかけるんです、「やぁ、僕だよ」って
これだったら認めざるを得ませんね、僕も
ぐうの音も出ません、でもそれやるとダサいですよね
こんな演出ノーランは絶対やりたくないでしょ(笑)
もちろん名乗り出ないだけで本当にブルースは整形してて身を潜めてるかもしれませんよ
だけど、それをはっきり明かせない以上、やっぱり死んでるんじゃないかともいえるわけでね
本当に、どちらともとれるエンディングだと思うんですよ、この作品は
だから人それぞれ解釈したいようにすればいいんです
生きてると信じたい人にそれは違うぞ、なんて
そんなこと僕は言いません、くどいですが僕のなかでは完全に死んでるけれど
この作品は来年で10年経つけど、ネットをざっと見ていると
死亡派の人の意見を生存派の人は全く受け入れず否定するか、もしくは馬鹿にしている
全部ではないけどそういう傾向を感じます
質問系のサイトで”結局ブルースは死んだんですか?”って問いに”ちゃんと見てたんですか?”とかね(笑)
そもそもノーランはインセプションのラストで現実か夢か、コマは止まるか止まらないかで
散々議論を引き起こした映画人だったでしょう?(今となってはほぼ現実であるっていうのが定評だけれど)
ひとつの決まった結末ではなくいろんな解釈の余地がある
そんなところも映画ファンにノーランが支持された理由じゃなかったか?
なのに、なぜ片方の意見をそこまで下に見ることができるのだろう?
バットマンが、ヒーローが死んだとは認めたくないということかね
でもノーラン流バットマンといえばとにかく”リアル!”が売りでしたからね
評論家の人たちもそんな論調だったし、他のアメコミ映画とは格が違う、とか言ってね(笑)
だったら”奇跡は起きない 現実は非常である”って結末も全然OKでしょ
逆に何で僕はそんなにバットマンを死んだことにしたいのかって?
いや、死んだことにしたいわけではないんですよ(笑)
あえて言うとすれば…
他のヒーローは実は生きてる可能性、”IF”もないくらい、はっきりと死んだのにズルイなぁ
っていうしょうもないガキみてーな理由と
あとは死んで思い出になったほうが美しい気がするから
どういうことかいうとアルフレッドはブルースに普通の人生を送ってほしいと願ってましたよね
その願いが幻想となって表現されたのがあのカフェのシーンなのではないかと
だから顔も在りし日のブルースのまま、アルフレッドの記憶の中のブルースそのままなんです
そう考えると切ないけど、美しい、ような気がする、うん
しかし、こう長々と久々に書いたり、思ってたことを外に出すとちょっと気分が晴れますね
これから、頻繁に書くか、またも長いブランクに入るかはわかりませんが
まあ気軽に続けてみるかって気になれます
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